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モーパサンからダイエット·コークまで」
―ポストモダンはモダンと同じぐらい古くて新しい問題である

蓮實 重彦

一、マニ教·幻想·?
  昨今のポストモダニズムをめぐる議論には、事態の客観的な分析とはおよそ無縁の·大げさな比喩がまぎれこみがちであります。とりわけ、ポストモダン的な思考形式に批判的な視点に立つ者の著作に、その傾向は顕著に認められます·多くの場合·それは·分析の対象に向けられる論者の思考のむなしい空転ぶりを露呈させているようにみえます。批判者たちが、あたかもとらえがたい·幻想·に向けて言葉をつらねているような印象を与えがちだからです。
例えば·近代―未完のプロジェクト·《Modernity-An Incomplete Project》のユルゲン·ハバーマスJurgen Habermasは、ジョルジュ·バタイユGeorges Batailleからミシェル·フーコーMichel Foucault、ジャック·デリダJacques Derridaへといたる現代フランスの哲学的な思想の流れについて、

  「道具的理性に対して·彼らはマニ教的な態度で·降霊術的な仕方でしか接近しがたい原理を掲げる」

  と書いています。そう書く彼の意図が、合理主義的な理性とは異なる原理に依拠しがちだと判断される一部の思想家たちの、前近代的な思考の危険性を指摘することにあるのはいうまでもありません。ハバーマスは、そうした言説の危険性と同時に·それに惑わされることの愚かさを多くの人に回避してほしいといいたいのでしょう。
しかし、『言葉と物』Les Mots et les chosesを書いたフーコーや『エクリチェールと差異』L'écriture et la différenceの著者であるデリダが、マニ教徒的でも、ましてや降霊術師的でもないことをよく知っているわれわれの目に、この比喩の不適切さは一目瞭然であります。スターリン主義時代のソ連で口にされた「トロッキスト」という呼称がそうであったように、ある種の思考や振る舞いの非正統性を誇張するためのこの種の命名法には、近代的な理性を絶対視しているはずのハバーマスの真意さえ誤解させかねない不実な要素がまぎれこんでしまうからです。
  いったい、マニ教徒だの降霊術師だのというこの過剰な反応は、どこからくるのでしょうか。なぜ、こうした「不適切な比喩」が彼らの言説にまぎれこんでしまうのでしょうか。ことによると、「ポストモダン」の一語で包括的に排除されようとしている人々の著作には、近代的な理性を絶対視せずにはいられない者たちの神経過敏な部分に触れる何かが含まれているのかもしれません。あるいは、合理主義者の感性ではとらえがたい何かが、事態を混乱させているのかもしれません。そこで、これから、その·何か·がどのように彼らの思考に介入するか、あるいは、彼らのいかなる欠陥がそうした思考を招きよせてしまうのかを考えてみようと思います。そうすることで、われわれが、今、いかなる時代に生きているのかという問題にアプローチすることができはしないか。この文章を書かせているのは、そうした思いにほかなりません。

二、·ポストモダン·的なコカコーラ
  そこで、まず、ハバーマス的な誇張が、実は彼一人の問題ではないという事実を指摘することから始めましょう。事実、それに似た·不適切な比喩·の使用は、テリー·イーグルトンTerry Eagletonの著作のいたるところに認められるからであります。例えば、『ポストモダニズムの幻想』The Illusion of Postmodernismという書物の中で、このオックッスフォード大学の教授は、「ポストモダニズム」を「幻想」としてあばきたてるというより、ひたすらそれに惑わされ続けているかにみえます。それは、彼が、ポストモダン的とみなす哲学者たちを無意味な日常的対象と比較することで、その価値を貶めようと目論んでいるところに如実にあらわれています。実際、愚にもつかない語呂あわせで、ジャン=フランソワ·リオタールJean-Francois Lyotardとアエロビックスのレオタードleotardとを併置する彼の修辞学的な·不適切·さは、イギリス的なユーモワの域をはるかに超えています。それは、彼がジャック·デリダJacques Derridaとダイエット·コークとを対置するときに頂点に達します。彼は、

  「現在·北京大学にもポストモダン研究所ができ·中国はダイエット·コークだけでなく·デリダの輸入も開始した」

  と書いているからです。
  あまり上品なものとは呼びがたいこの文章をあえて引用したのは·このイギリスのマルクス主義的な文学理論家による中国をめぐる発言が事態を正確に把握したものか否かの判断を下すべきだと考えたからではありません。わたくしたちの誰もがBeidaすなわちPeking Universityとして知っている大学をUniversity of Beijingと呼ぶイーグルトンがいうように、本当にそこに·ポストモダン研究所·が設置されたか否かを確かめることが重要ではないからであります。また、マニ教徒や降霊術師のみならず·アメリカ製の清涼飲料水にも比較されてしまうフランスの「脱=構築」の哲学者に、改めて同情の意を表す意図もわたくしにはありません。ましてや、現代イギリスを代表する知識人のあまりにも粗雑な言葉遣いのうちに、ヨーロッパ的な理性の崩壊を認めずにはいられないと主張したいのでもありません。問題は、決して知性を欠いているわけではない知識人が、ポストモダニズムを攻撃する場合、ともすれば驕りからくる不注意な振舞いを演じてしまいがちだという点にあります。そうした例は、不幸なことに、いたるところに認められます。
  例えば、·ポストモダン思想における科学の濫用·《Postmoden Intellecturals’Abuse of Science》という副題を持つ『「知」の騙瞞』Fashionable Nonsense(フランス語版の題:Intellectual Imposteurs)の著者のアラン·ソーカルAlan Sokalとジャン·ブリクモンJean Bricmontは、世界を代表する知識人とは呼びがたいたんなる物理学の教授にすぎません。しかし、·詐欺師·の一語を含む書物のフランス語版の題名がすでに明示しているように、彼らがデリダをマニ教徒や降霊術師にたとえたハバーマスと同じ命名法の中にいることは明らかです。実際、ファイヤーベントPaul Feyerabendを科学哲学の「宮廷道化師」《court jester》と比喩的に呼ぶことで、彼らも無意識のうちにハバーマスやイーグルトンを模倣してしまうのです。この物理学者たちもまた、·幻想·としてのポストモダニズムに惑わされているとしかいえません。
  とはいえ、この書物で用いられている「脱=構築」《déconstruction》というデリダ的な語彙のあからさまな誤用を取り上げ、彼らに人文科学を語る資格などないと主張するつもりはありません。わたくしは、現代フランスの哲学者たちがアメリカ合衆国の善良な学生たちに悪しき影響を与えつつある現状に対する彼らの危機感に、むしろ同情的でさえあります。また、著者の一人のアラン·ソーカルが「境界を侵犯することー量子重力の変形解釈学に向けて」《Transgressing the Boundaries:Toward a transformative hermeneutics of Quantum Gravity》という支離滅裂な論文に仕立てあげ、それを「ソーシャル·テクスト」誌に発表することで、その危機感を回避できると考えたことにも、憐憫の情を覚えずにはいられません。
ご存じのように、アメリカの物理学者アラン·ソーカルは、その論文の中で、科学の概念を濫用するフランスの·危険な·思想家たちの文体をあえて模倣してみせるのですが、それは、その無内容なパスティシュ論文を学術雑誌に掲載してしまうアメリカの人文科学系の教授たちの知的な頽廃を暴露する目的があったのはいうまでもありません。事実、その間に事情を、彼は別の論文《Physicist Experiments with Culture Studies》で詳細的に暴露しています。
  二人の物理学者によるこの善意の告発は、ダイエット·コークのようにとはいわないまでもあまねく世界各地に輸出され、今では日本語でも読むことができます。しかし、彼らが·ポストモダン·と呼ぶある種の危険な傾向を合衆国のアカデミズムから一掃するために、率先して·ポストモダン·的なパスティシュの手法を援用し、スキャンダルに訴えることも辞さないアラン·ソーカルの必死の姿勢には、まことに涙ぐましいものがあるといわざるをえません。パスティシュという手法の·ポストモダン·的な意味については、フレデリック·ジェームソンの『歴史のシンタックス』Fredric Jameson,Syntax of Historyを参考にしていただきたいと思いますが、それを実践してみせたソーカルの論文のコストとパフォーマンスとのあまりの落差には驚かずにはいられません。だからといって、現代の物理学の合衆国の大学における困難な地位を象徴しているなどと「実験的」に証明することに、深い意味があるとも思えません。実際、彼がいうように数学概念の誤用をどれほど多く含んでいようと、21世紀の人文科学の学生たちは、ジル·ドゥルーズGilles Deleuzeの哲学的な著作『差異と反復』Différence et Répétitionをなおも読み、そこから大きな刺激をうけつづけるでしょう。それは、人文科学の著作は、物理学の論文のように、一つのあやまりがすべてを無意味にしてしまうとはかぎらないからです。今日の視点からすれば誤りを含むプラトンやアリストテレスをわれわれがいまなお読みつづけるのは、そのためです。ところが、これという正当な理由もなくドゥルーズを「ポストモダン」と呼んだアラン·ソーカルとジャン·ブリクモンの涙ぐましい善意の努力が、十年もしないうちに忘れさられてしまうことは確実です。それは、彼らの書物に含まれる語彙を借用するなら、彼らに·ファッションナブルなセンス·が欠けているからにほかなりません。

三、無意識の侮蔑と未熟児たち
  ここで、すでに引用しておいたイーグルトンによる中国への比喩的な言及に改めて触れてみなければなりません。そこには、「ポストモダニズム」批判を試みる者たちに共通の、自分の無知に対する羞恥心の欠如が姿を見せているからです。彼らは、ある地域の文化に対する無知が、「ポストモダン」的なものを攻撃するという正義によって許されているかのように振る舞います。しかし、中華人民共和国の首都北京Beijingに存在している大学がPeking Universityであり、University of Bejingではないことを知らないらしいイーグルトンには、ことさらその大学と「ポストモダニズム」との関係を論じなければならない正当な理由があったのでしょうか。文脈から行って、この書物でその·幻想·をあばこうとしている「ポストモダニズム」が中国でもてはやされるのは、彼にとって嘆かわしい事態のはずです。ことの真偽はともかく、東アジアの大国の高等教育の機関にまで「ポストモダン研究所」が設置されてしまうという趨勢への彼のシニカルな言及は、読者の多くが彼に同調することをあらかじめ期待してなされたもののようにみえます。
  わたくしにとって放置しがたいのは、嘆かわしい事態を摘発するという大義のためなら侮蔑的な言葉を一つや二つ口にすることも許されるはずだと信じているかのような彼の倫理観の欠如にはほかなりません。それは、·中国がデリダを輸入する·という文章からして明らかであります。実際、ダイエット·コークと比較されているように、このフランスの哲学者の思想は、中国ではたんなる·消費·の対象でしかないとみなされている。十分に近代化されている地域の大学では「脱=構築」の理論を批判的に解読することもできるが、十分に近代化されてはいない地域の大学ははこれを無批判に鵜呑みするしかないから、この嘆かわしい事態は回避さるべきなのだとイーグルトンはいいたいのです。

  わたくしたちアジアの研究者は、こうした言説が無責任に流通している西欧の知的現状にどのように対応すべきでしょうか。東アジアという地域的に特殊な文化的な伝統からそれに反発し、無用な対立を煽り立てるのはもちろん愚かなことです。わたくしたちは、かりに本人にその意図がなかったとしても、文脈からして明らかに侮蔑的な内容を含んでいるこんな文章をオックスフォード大学の教授に書かせてしまうのが「ポストモダニズム」だとするなら、彼をも惑わすその·幻影·の大きさに改めて注目しなければなりません。イーグルトンの文章に浸透している無自覚な侮蔑は、これにそえられた注釈によってさらに確かな輪郭におさまります。事実、イーグルトンはこう書いています。

  「こうした地域は発達した近代をもたぬまま、ポストモダン的な状況をつくらされつつある。近代的なおくれが、ポストモダンという未熟児を産んだとでも形容すればいいのだろうか」

  このような視点に立つ西欧知識人の目に、わたくしの今日の講演など、さながら·未熟児·たちが病院でミルクのかわりにダイエットコークを飲んでいるかのような光景と映るのかもしれません。
  言うまでもなく、この·未熟児·という比喩もきわめて不適切なものであります。西欧知識人によるみずからの文化的な·成熟·への過信こそ、まさに·近代·そのものを揺るがしている要素なのだという現状への無自覚によって、非西欧圏からの無用な反発を招きかねないという意味で、これは不適切な比喩だといわねばなりません。しかし、それが不適切だと判断されるより重要な理由が存在します。それは、この比喩が『ポストモダニズムの幻想』の著者の主張をあからさまに裏切っており、彼自身がそれに無自覚だという理由であげられまう。事実、イーグルトンは、「ポストモダン」が、·近代·、すなわちモダンにつづく一時期だという時代区分の問題ではなく、両者はほとんど同時に起こっていると指摘しているからです。実際、彼は、

  「ポストモダニズムは一九六〇年代以降の現象ではなく、それよりずっと長い歴史を持つ現象である。その理由は、その要素の多くがモダニズム全盛期につながっていることになる」

  と述べているのであります。その点で、彼は、

  「ポストモダニズムの出現は、こうした後期資本主義、消費型資本主義あるいは多国籍資本主義という新しい契機の出現と密接に結びついている」

  と述べ、それを1960年以降の歴史的な現象とみなしているアメリカのマルクス主義的な文学理論家のフレデリック·ジェームソンとは、明らかに対立しています。わたくしの立場は、ジェームソンよりもむしろイーグルトンに近いものだといえますが、「ポストモダニズム」的なものの多くが「モダニズム全盛期につながっている」という文脈の中で、彼が「近代的なおくれがポストモダンという未熟児を産んだ」というとき、それは自分自身の前提と明らかに矛盾しているのは明白です。「モダニズムの全盛期につながっている」はずの「ポストモダン」的な要素が、なぜ近代が成立する以前にあらわれるのかについて、彼はまったく触れていないからです。イーグルトンの立論に従うなら、近代の成立が遅れれば、それだけポストモダンの到来も遅れるはずであります。非西欧圏においては、事態は別だとでもいうのでしょうか。

四、大学教授と西部劇
  非西欧圏の文化への無知からくる意識されざる侮蔑におとらず、イーグルトンの文章には、マス·カルチャーに対する同じ種類の侮蔑がしみついております。なるほど、彼は、

  「ポストモダニズムはこれまで無視されてきた文化に光をあて、文化の正典がいかに恣意的な選択によるものかを示した点で、価値ある業績をあげた」

  と書いてはいます。しかし、その「無視されてきた文化」の実態について、彼はほとんど無知のままとどまっているかにみえます。それは、同じ書物の中でNoam Chomsukyノーム·チョムスキーとクリント·イーストウッドClint Eastwoodとを不用意に比較している文章によっても明らかなものとなります。われわれは、ここで、ふたたび「不適切な比喩」に逢着するのであります。

  「真のラディカリズムというものは、システムにとってはまことに好都合なことにほとんど理解不能である」

  と述べたあと、イーグルトンは、次のようなに書いているからです。

  「ノーム·チョムスキーは、ときおりクリント·イーストウッドにもわかるような見解を表明することもあるが、つねに彼の思想に対して強い職業的な警戒心をいだいているCIAは、真のラディカリズムが理解不能だという事実をどうやら見落としているようだ」

  ここには、二つのことが語られています。まず、誰にもわからない言語を操ることで、制度を揺るがせることがないばかりが、むしろこれを強化してしまうラディカリズムの限界が語られている。つぎに、制度維持を役割とする諜報機関が、そうしたラディカリズムをなお警戒しつづけている愚かさが語られているのです。その種のラディカリズムの一例としてチョムスキーの名前が挙げられているのですが、それに対応する名前としてクリント·イーストウッドが登場すべき正当な理由はまったく存在しません。ただ、このMITの生成言語学者もときには普通の人にもわかる言葉を操ることがあると説明するときの例として、イーストウッドの名前が引かれているだけなのです。おそらく、そこには、イーストウッド本人にとどまらず、スクリーンに彼の姿を認めて満足するだろう多くの観客たちにもわかるような言葉、という意味もこめられているでしょう。いずれにせよ、ここでの固有名詞の使用は比喩的なものでしかありません。イーグルトン教授にとってのイーストウッドは、おそらく『ダーティー·ハリー』Dirty Harryシリーズの暴力警部を演じた人気スターといった程度のイメージでしかなかったに違いない。そうだとしたら、これはいくらでも置き換えのきく名前の一つでしかないはずです。
  ここには、現代アメリカのもっとも優れた映画作家に対する無知からくる侮蔑が顔をのぞかせています。おそらく、このイギリスの文学理論家は、クリント·イーストウッドの監督の『ペイルライダー』Pale Rider(1985)や『許されざる者』Unforgiven(1991)などを一本も見たこともないに違いない。かりに見ていたにせよ、それを評価するにたる知識や感性、歴史意識に恵まれてはいなかったと判断せざるをえません。もちろん、私は、映画作家であり俳優でもあるイーストウッドの方が、言語学者で政治運動家でもあるチョムスキーより遥かに偉大な存在だと主張するつもりはありません。いたるところで、「『高級文化』と『大衆文化』の境界を曖昧なものにしている」《which blurs the bounderies between “high” and “popular” culture》(p.vii)「ポストモダン」的な傾向を非難するイーグルトンの立場には、むしろ賛同したいとさえ思っているからです。しかし、ハリウッドの映画スターにはMIT教授の政治運動家の発言など理解できるはずがないといういささかも正当化されがたい彼の前提には、ほぼ50年遅れの知識人の時代認識が顔をのぞかせており、これには強い疑念を覚えずにはいられません。
  ウェネチアのビエンナーレBiennale di Venechiaの一部門として開催される国際映画映画祭Mostra internazionaled’arte cinemat ograficaが、映画作家イーストウッドのキャリアにオマージュを捧げた2000年、それを祝って出版された記念論文集『クリント·イーストウッド』Clint Eastwood(a cure di Luciano Barizone e Giulia D’Agnolo Vallan,Editrice Il Castoro,2000)に寄稿する栄誉に恵まれたわたくしとしては、イーグルトンのこの不用意な比喩の使用を、自分の知らないことについては語らないという職業的な倫理の欠如として、またそれが導きだしてしまう「大衆文化」への故のない侮蔑という点で、厳しく非難せずにはおれません。もちろん、彼が映画作家としてのクリント·イーストウッドを知らないことを非難するのではありません。知らないことを論じ、しかもその論じ方が間違っていることが問題なのです。
  この書物におけるテリー·イーグルトンの「大衆文化」の理解は、半世紀以上前に書かれたマックス·ホルクハイマーMax Horkheimerとテオド-ル·W·アドルノTheodor W·Adornoの記念すべき『啓蒙の弁証法』Dialektik der Aufklarung(Dialectic of Englightenment,translated by John Cumming)の場合よりも遥かに後退しています。1940年代に合衆国の西海岸への亡命を余儀なくされたこのフランクフルト学派の俊英たちは、その「文化産業―大衆的欺瞞としての啓蒙」《The Culture Industry-Enleightenment as Mass Deception》の章で、後期資本主義体制下の大衆文化の実態をシニカルに証言しつつ、「啓蒙の自己崩壊」がいたるところで起こっていると書いています。
  この書物は、その名前こそ登場していませんが、おそらく最初の本格的な「ポストモダニズム」批判の書物とみなしうるでしょう。ヨーロッパのファシズムを逃れてきた二人の前に展開されていたのは、アメリカ合衆国の想像を超えたマス·メディア現象であります。映画産業や音楽産業がそうであるように、そこではあらゆるものが規格化された複製として大量に生産され、その場の気晴らしとして人々の消費に供されています。もちろん、フランクフルト学派の二人は、娯楽そのものを文化の堕落形態だと見なしているのではなく、「娯楽とは、後期資本主義かにおける労働の延長である」《Amusement under late capitalism is the prolongation of work》と書いています。

  「娯楽は、機械化された労働過程を回避しようと思うものが、そういう労働過程に新たに耐えるために、欲しがるものなのだ」

  これが、フォーディズム的な大量生産の全盛期だった1930年代における彼らの娯楽の定義にほかなりません。
  そこでの問題は、映画やレコードや写真週刊誌のように、文化産業の提供する粗悪な複製が瞬間的に消費される商品のかたちをとっているので、それを大量に受け止める人々の想像力や自発性が麻痺し、啓蒙の過程に立ち会う機会が奪われてしまうことにあります。そのため、すべたが類似し、いたるところで差異が見失われてゆく。それを促しているのが大量に規格化された模倣であり、複製であり、反複だと彼らは指摘しています。そこでは、オリジナルはほとんど意味を失い、大量のコピーばかりが流通してゆくという「ポストモダン」的な現象、ジャン·ボードリヤールJean Baudrillardなら「コミュニケーションの恍惚」《the Ecstasy of Communications》と呼ぶだろう現象が、萌芽的ながらすでに1930年から1940年にかけての合衆国に起こっていたとみるべきでしょう。

五、啓蒙の自己崩壊
  アドルノとホルクハイマーにしたがうなら、こうした現象は、消費社会にふさわしい文化産業の中に「高級」な文化と「安易」な文化との安易で偽善的な融合をつくりだしてしまいます。「ある芸術ジャンルに属する作品が、それとはまったくメディアや素材を異にするジャンルへと、同じ処方箋によって処理される」 だと彼らは書いています。バルザックやウィクトル·ユゴーの文学作品が、それを可能にした文学的=歴史的な文脈を無視して異なるメディアに置き換えられ、大量の消費を誘発するアメリカ映画としてつぎつぎに製作されたり、ベ-トーウェンやモーツアルトの旋律が単純な和音からなるジャズのリズムに置き換えられてゆくのを目のあたりにして、彼らは唖然とするしかありません。そのとき、イーグルトンがポストモダニズムの特徴の一つとして挙げていた「高級文化」と「大衆文化」の境界の曖昧化が起こっていたのは明らかです。
  しかし、ホルクハイマーとアドルノも指摘しているように、高度な芸術作品を大量消費に向けて娯楽として規格化するという文化産業を思わせる事態は、これより「はるか以前から」存在していました。また、彼らはそういってはおりませんが、1940年代の合衆国以外の場所にも同じ現象が起こっていたはずです。そこで、まず時間軸にそってみるなら、例えばオペラという「高級な」ジャンルに対してオペレッタ·ブッファOperetta Bouffaという「大衆化」された気軽なジャンルが人気を博したフランスの第二帝政期に、フランクフルト学派の二人を苛立たせたのと同じ「境界の曖昧化」が起きていました。それは、パリ第四大学のアントワーヌ·コンパニオンAntoine Compagnion教授が指摘するように、フランス人にとっての「近代性」《Modernité》の概念にはあらかじめニヒリズムがこめられており、そもそも「ボードレール的かつニーチェ的な意味でのモデルニテはポストモダンを含む」ものだからだったのかもしれません。だが、わたくしが注目するのは、むしろ「真面目」な芸術ジャンルに対するいささかも「ポストモダン」的ではないボードレールの近代主義者としての執着です。ワーグナーのオペラの芸術的な価値を認めない人々にむかって、彼はつぎのように書いているからです。

  「ただちに、主要で支配的な理由を正直に認めよう。ワーグナーのオペラは、持続的な注意を要求する、真面目な作品なのである、と。古来の悲劇がなかんずく手軽に気晴らしをさせてくれることによって成功していたような国で、こうした条件がいかほど不利に働くものかは、了解に難しくない。…フランスでは劇場定期予約者はいやがって叫ぶ。『私の知性を働かせる機会よりもむしろ、消化によい快楽を提供してほしい』」

  ここで批判されているのは、ヘレーナやオルフェウスのような神話的な作中人物を登場させ、ギリシャ悲劇を口あたりのよいスペクタクルに翻案することで成功をおさめたジャック·オッフェンバックJacques Offenbachと、それを気軽な娯楽として消費する楽しみを覚えてしまった同時代のフランス人の「持続的な注意力」の放棄にほかなりません。そのときに起こるのは、ホルクハイマーとアドルノとが1940年代の合衆国で立ち会った「啓蒙の自己崩壊」にほかなりません。彼らと同様、文学作品よりも新聞の連載小説が、事件そのものよりも絵入り新聞の記事が、映画よりも写真が、演劇よりもウォードウィールが、オペラよりもオペレッタ·ブッファがもてはやされる時代の到来が、ボードレールには我慢できないようです。『悪の華』Fleurs du Malの詩人は、まさに「啓蒙の自己崩壊」の始まりの一時期に位置しており、その新たな事態に対して、フランクフルト学派よりも一世紀も前に苛立っていたのだといえます。
実際、ナポレオン三世治下のパリでは、彼らが苛立ったような模倣と複製と反複による芸術作品の商品的な規格化がいたるところで行われており、それが気軽に消費されてゆくのでした。そのような手軽な気晴らしにふさわしい空間は、劇場にほかなりません。『パリ、その組織、機能、生活』Paris,ses organs,ses functions et sa vieをあらわした作家のマクシム·デュ·カンMaxime Du Campは、劇場を「大衆文化」に媚びたいかがわしい空間とみなし、それを「高級文化」にこそふさわしい図書館と比較しています。実際、彼はこう書いているのです。

  「かりに、パリの市民が、劇場から何かを学んだと思い込み、『マルゴ女王』Reine Margotを見たがゆえにマルグリット·ド·ナウァールの話をっ知っていると思ったにしても、それは彼らに図書館の無限の宝庫を提供している国家のあやまちではない」

  『マルゴ女王』は、言うまでもなく、宗教戦争時代を背景としたアレクサンドル·デュマAlexandre Dumasの長編小説で、その後、戯曲となって上演され、多くの観客を集めたものです。そうした傾向に批判的な彼は、オッフェンバックのオペレッタ·ブッファ『地獄のオルフェウス』L’Orphée aux enfersに殺到する観客たちの手軽な気晴らしへの嗜好をあからさまに軽蔑し、本来なら書物で読むべきフランス史やギリシャ神話が、スペクタクルとして演じられている舞台を通して提供されるという状況に非難を投げかけいるのです。それは、どこかでテリー·イーグルトンのポストモダニズムに対する苛立ちに通じているように思えます。
  ワーグナーとオッフェンバックとが同時代人であり、彼らがその舞台上演に同時代のまったく異なる人々を惹きつけていたという事実は、「近代」と「ポストモダン」とがほぼ同じ時期に成立したという仮説を証明しているように思えます。「高級芸術」と「大衆芸術」との境界は、「近代」が成立した19世紀の中頃に曖昧になり始めており、『複製技術時代の芸術』を書いたワルター·ベンヤミンWalterBenjaminは、そのことに充分すぎるほど意識的でした。彼は、「アウラAulaの消滅」という言葉で、「複製技術時代」の文化におけるコピーの増殖の歴史的な意義について語っています。しかし、ほぼ同時代に映画を目指した人々にくらべると、ベンヤミンにはいささか大胆さがかけていたといわねばなりません。19世紀の写真については論じながらも、20世紀特有の複製芸術である映画を論じたものにはほとんどみるべきものがないからです。古典的な文学作品であれ、ギリシャ神話であれ、旧約聖書であれ、どんな主題でも思いのままに翻案できると高を括っていた映画人のように、率先して「アウラ」を欠いたコピーに満足するとする勇気を持つことはついにできなかったからです。
  しかし、20世紀の文化は、模倣と複製と反複とを否定的な要素と見なさず、進んでコピーと戯れる強靭な精神によって担われているはずです。革命直後のレーニンが映画を重視し、ヒットラーもまた映画の意義を心得ており、合衆国が映画産業を重視することで大恐慌から立ち直ったことからも明らかなように、映画は政治的にも重要な意味を持っていました。だから、映画をいまなお「大衆文化」とみなし、それに「高級文化」を対置せずにはいられない人々に、20世紀が語れるとは思えません。大学には、映画の分析を避けている理由はないというのが、私の立場です。
  オッフェンバックの「麗しのヘレーナ」La Belle Hélène(1960)を上演する一座が開拓時代のアメリカ合衆国を巡業し、無法者やネイティウ·アメリカンとのいざこざに巻き込まれるという題材を『西部に駆ける恋』Heller in Pink Tightsとして撮りあげたジョージ·キュカーGeorge Cukorのような映画作家は、わたくしの目にはいかにも知的で大胆な人物と映ります。  それがヨーロッパからもたらされたものであるが故に、オッフェンバックがむしろ高級なものとみなされていた世界が存在していたのであり、それを通して近代の文化に思いがけぬ視線を注がせてくれるこの映画作家の批評性こそ、コピーと戯れることを知っている20世紀の強みなのです。このようなジャンルの境界の曖昧化を、ホルクハイマーとアドルノとは想像できたでしょうか。

六、ハリウッドのモーパッサン
  ちょうど二人が『啓蒙の弁証法』をカリフォルニアで執筆していたころ、オッフェバックとともに栄えた第二帝政の崩壊に立ち会って人々の混乱ぶりを描いたフランスの文学作品が、ハリウッドのメジャー系の会社によって映画化されています。オーソン·ウェルズOrsen Wellesの『市民ケーン』Cityzen Kaneの編集を担当したロバート·ワイズRobert Wiseが監督に昇進した直後に撮ったRKO作品の『フィフィ嬢』Mademoiselle Fifi(1944)がそれであります。原作はモーパッサンGuy de Maupassantの名高い中編小説『脂肪の塊』Boule de suifで、1870年の普仏戦争下のルーアン近郊が舞台となっています。モーパッサンの実質的な処女作といってよいこの作品は、ドイツ軍の占領下にあったノルマンディの首都からフランス軍が支配している土地まで乗合馬車を走らせる一群の男女の、階級的かつ性的な葛藤を描いたものです。
  乗客の大半は戦時期の混乱を利用して儲けをたくらむ商人たちで、占領軍にとり入って許可をえた彼らは、それぞれ妻を伴って馬車に乗り込みます。それに、一人の共和主義者と二人の修道女、そして一人の娼婦が加わります。若さににあわず肉付きのよいことから「脂肪の塊」と呼ばれているこの娼婦が、上品さを気取る乗客たちの颦蹙をかうことになるのはいうまでもありません。その娼婦が、犠牲的な精神からドイツ軍の将校に身をゆだねることで窮地に陥った一行を救うという物語を描いているのは、愛国心のかけらもない偽善的なブルジョアたちの醜さにほかなりません。
  このシニカルな題材を「輸入」した1940年代のハリウッドは、これを感傷的な反ナチスのプロパガンダ映画に仕立て上げます。19世紀の市民社会から軽蔑の目で見られていたフランス女性が、みずから犠牲となることでドイツ軍の理不尽な振る舞いから同国人たちを救うというプロットは、そのまま1940年代の世界情勢にあてはまるものだったからです。勿論、PKOの撮影所のステージに再現されたフランスの地方都市を舞台装置としするこの映画の登場人物たちは、ドイツ軍兵士を含めて全員が英語を話します。四頭だての馬車も登場し、社会の各層の人間が乗客として同じ時間と空間を共有することになります。そのとき、原作に描かれていたフランスのブルジョアジーの欺瞞的な醜さが、ハリウッド的な規格にしたがい、女主人公の善意と愛国心を強調する敵役となるのはいうまでもありません。
  社会道徳の違いから酒場の女給に置き換えられた娼婦のエリザべート·ルーセElizabeth Rousetを演じているのは、フランスから亡命中の女優シモーヌ·シモンSimone simonで、彼女はフランス系のジャック·ターナーJacques Tourneur監督の『キャット·ピープル』Cat People(1942)で華々しいハリウッド·デビューをはたしたばかりでした。その後、『罠』The Set-Upなどの「フィルム·ノワール」で注目されるロバート·ワイズの作品としてはとりわけ優れたものではありませんが、戦時下の制作費の切り詰めから比較的短い上映時間の作品ですが、そこにすべての劇的要素を組入れる手際のよい演出は、新人とは思えない確かさです。これは、多くのフランスからの亡命俳優を受け入れていた第二次世界大戦中の、合衆国がヨーロッパ参戦に踏み切った直後だけに可能な企画だったといえるかもしれません。
  もちろん、この規格化されたハリウッド流のモーパッサンのコピーには、ホルクハイマーとアドルノが批判したアメリカの文化産業の特質がことごとく認められます。しかし、わたくしは、むしろモーパッサンの『脂肪の塊』という中編小説が、いかにもハリウッド的な題材処理にふさわしい細部をたくみに案配して書かれているこ化的な状況の異なる国々に大量に「輸入」され、たがいに類似することのない無数の複製を生み出すことになるでしょう。その意味で、モーパッサンに比べてみれば、1930年から40年にかけて脚本家として映画会社と契約したウイリアム·フォークナーの方が、遥かに反ハリウッド的な作家だといわねばなりません。
  第二次世界大戦の直後、あたかもフランス解放を祝うかのように1947年に『脂肪の塊』がフランスで映画化されたのは当然かもしれません。この作品は、誰からも軽蔑されていた娼婦の思いがけない犠牲的精神と、それを理解できない一般市民の偽善的な振る舞いという、いかにも大衆化社会にふさわしい主題をもっているからです。それに占領軍への反発という要素を加味すれば、国状のいかんにかかわらず、理想的な脚本ができあがってしまいます。だから、今日のわれわれの目には、クリスチアン=ジャクChristian-Jaque監督、ミシュリ-ヌ·プレールMicheline Presle主演のフランス版は、ハリウッド版の『フィフィ嬢』Mademoiselle Fifiの野心を欠いた翻案のように映るという皮肉な現象さえ起こるのです。事実、優れた脚本家アンリ·ジャンソンHenry Jeansonが翻案したこの作品は、否定しがたい女優の魅力を別にすれば、ロバート·ワイズ監督のアメリカ映画よりも遥かにテンポが悪く、退屈な作品にできあがっているのです。
  だが、さらに皮肉なことには、映画史的にみると、ハリウッド版もフランス版も、スターリン主義時代の無声映画のソ連版『脂肪の塊』のできばえには遠く及ばないのです。ミハイル·ロムMikhail Romm監督の処女作『脂肪の塊』Pyska(1934)でエリザベット·ルーセ役を演じているガリーナ·セルゲーワGalina Sergeevaは、その肉付きのよう姿態からしてシモーヌ·シモンやミシュリ-ヌ·プレールより原作のイメージに遥かに近い人物像におさまっています。乗合馬車や旅館での彼女の孤立ぶりを描いた演出は、影を多用した撮影とクルーズ·アップの効果的な挿入によって、戦時下の緊迫した雰囲気の中での性別や階級の違いにもとづく男女の葛藤をみごとに伝えています。彼女に同情する若いドイツ軍兵士や若い召使の女性を新たに登場させることで、乗客たちの人物関係が、原作はいうまでもなく、ハリウッドやフランスのものより遥かに陰影豊かなものになっています。これが『脂肪の塊』の映画化として最高の作品であることは言うまでもありませんが、モーパッサンの作品の映画化としてというにとどまらず、映画としてきわめて優れた出来栄えを示した作品だといえます。やがて傑作というほかはない『一年の九日間』Nine Days of the Year(1961)を撮った世界を驚かせたミハイル·ロムの処女作だから、これが優れているのは当然だというべきかもしれません。
  おそらく、『啓蒙の弁証法』の著者たちなら、それが優れた作品であるのは、1930年代のソ連には、カリフォルニアと異なり資本主義的な文化産業が猛威をふるってはあらず、ある芸術作品を他のメディアに手軽に消費できるかたちで商品化するシステムがなかったからだというかもしれません。 だが、事態はそのように推移してはおりませんでした。社会主義圏のソ連にも、同じ時期のアメリカと同じ事態が起こっていたからです。1934年といえば、まさに、ソ連映画が国家産業として再編成されつつあった時期であります。そこでは、エイゼンシュテインの前衛的な手法への執拗な批判が象徴的であるように、「誰にもわかること」、すなわち気軽な消費形態としての確立がメディアとしての映画に求められていたのです。それには、いうまでもなく、模倣と複製と反複とがおおいに活用されることになります。事実、ミハイル·ロムは『脂肪の塊』の直後に、ジョン·フォードによるハリウッド製の戦争活劇『肉弾鬼中隊』The Lost Patrol(1934)をロシア革命直後の状況に置き換え『一三人』The Thirteen(1936)として撮り、さらにそれにつづく『十月のレーニン』Lenin in October(1937)では、まさにコピーそのものというべきレーニンに生き写しの俳優を登場させ、多くの称賛を獲得することでその名声を確立しているいからです。つまり、処女作から三度にわたり、彼は何らかの意味で精巧な複製の製作にかかわっている。そうすることで、20世紀にふさわしい「複製技術時代の芸術」としての映画の可能性をおし広げることに貢献したのです。
  ここで、誰にもそれと気づかれることなく『脂肪の塊』を翻案した映画作家が、この時代に少なくとも三人いたことを指摘しておきましょう。それは「文学と映画」というあの退屈な主題をむしかえすためではなく、·高級芸術·とみなされちいるモーパッサンの文学作品が、どれほど「大衆芸術」好みの題材をあつかっていたかを改めて想起しておくためです。その一人目は、『駅馬車』Stage coach(1939)のジョン·フォードJohn Fordです。後の二人は、『マリアのお雪』O’yuki the Vergin(1835)の溝口健二と『花姑娘』Hua Guniang(1951)の朱石麟Zhu Shilinです。そのいずれも優れた作品であることは、いうまでもありません。

  あるインタウィューで、フォードは『駅馬車』ついてこういっています。

  「私は、まだこの映画が好きだ。それは文字とおり『脂肪の塊』だった。『駅馬車』の原作者アーネスト·ヘイコックスはそこから着想をえて、それを『ローズバークの馬車』という題の西部を舞台にした作品に翻案したのだと思う」

  実際、駅馬車という存在と、クレア·トレウァー演じる酒場女と、彼女を白い眼で見るさまざまな社会階層の乗客たちという状況が、まさに『脂肪の塊』であることは誰にもわかります。そして、フォード自身がこの人目にはつきがたい類似を好んでいたことが、彼の発言からもよくわかります。
  駅馬車の走行といういかにも映画的な運動感がフォードを惹きつけていたように、この題材を近代日本の最初の内戦である1877年の西南戦役に移しかえた溝口は、『マリアのお雪』で、迫害された女性の犠牲的な精神の擁護という側面を強調しています。また、日本の占領下に日本資本の映画製作会社への協力を余儀なくされ、戦後に香港に移住した朱石麟は、物語を日本の占領時代に設定し、時代背景からして不自然な馬車をトラックに置き換えてこの『花姑娘』を撮りあげました。いずれにあっても、乗客たちの見栄やエゴイズムが強調されており、作者の批判精神の確かさがみるものの胸をうちます。
  それぞれの作品で他国の将校の犠牲となる女性を演じているのは、日本版では山田五十鈴Yamada Izuzu、中国版では李麗華Li Lihuaですが、ともに当時の代表的な女優で、その後も長いキャリアを誇ることになるでしょう。『駅馬車』の場合がそうであるように、溝口健二も朱石麟も『脂肪の塊』の自由な翻案であることを明言してはおらず、その意味で、これらは一種の「密輸入」なのですが、そこには類似よりも差異なの印象が強烈なので、名高いこれらの監督がともにモーパッサンの中編を映画化したという共通点は、ほとんど指摘されたことがありません。溝口健二の『マリアのお雪』は、島耕二監督によって1957年に『女の肌』としてリメイクされますが、そこには、もはやモーパッサンの影すら落ちてはいません。こうした『脂肪の塊』の多様な変容ぶりをいま明らかにすることは、20世紀の·大衆文化·だけに許された貧しい「ポストモダン」的な貧しい喜びでしかないのでしょうか。
  これらの例は、20世紀における模倣と複製と反複に、同じものの大量の再現という否定的な側面とはおよそ異質な機能がそなわっていることを明らかにしてくれます。それには、国境を超えて新たなものの創造をうながすという積極的な機能がそなわっている。そこでは、ポストモダン的と判断されがちな複数のメディアの混淆や、「高級芸術」と「大衆文化」の境界線の曖昧化がたえず起こっております。しかし、それこそまさに近代が発見した文化の豊かさにほかなりません。19世紀後半のフランスの文学作品が西部劇として20世紀の文化を豊かのしてくれた現実を、ホルクハイマーとアドルノは、なお後期資本主義体制における文化産業の「啓蒙の自己崩壊」という視点から批判するでしょうか。それを、東アジアの国々が半世紀以上も前に·輸入·していたという事実は、デリダの世紀末の·輸入·を苦々しく思うイーグルトンをなおも苛立たせるのでしょうか。
  わたくしたちがジル·ドゥルーズの『差異と反複』を21世紀にも読みつづけるのは、そこに反複と創造との新たな関係が素描されているからにほかなりません。真の反複とは、『脂肪の塊』が『駅馬車』でも『マリアのお雪』でも『花姑娘』でもありうるように、起源にある作品とはおよそ異なるものの驚くべき生成にわたくしたちを立ち会わせてくれるのです。その驚きを、モダンか「ポストモダン」かと問うことは、もはや意味を失っているはずです。

七、われわれにとって同時代であるもの
  ここで、ハバーマスにはよってマニ教的とも、降霊術的とも呼ばれたフランスの哲学者の一人であるミシェル·フーコーの著作に触れることで、ひとつの結論を披露したいと思います。とはいえ、彼は、その親しい同僚だったジル·ドゥルーズのように、映画にはついての著作を残しているわけではありません。また、彼は、同じフランスのジャン·ボードリアールやジャン=フランソワ·リオタールのように、あからさまにポストモダン的と呼びうる著作があるわけでもありません。

  「『人間』とは、知という造物主がわずか二百年たらず前にみずからの手でこしらえあげた、ごく最近の被造物にすぎない」

  という彼にとって、思考の困難な「客体」object difficileでもあれば、同時にその至上の「主体」sujet souvrainでもあるものとして、18世紀の終わりから19世紀の初めにかけの西欧のエピステーメの変容とともに視界に登場した「人間」について、われわれがどのように語ることができるかということが問題となります。それは、「人間科学の考古学」《une archéologie des sciences humaines》という副題を持つ『言葉と物』いらい、彼の一貫した姿勢であります。それ以前に臨床医学について語ったときも、狂気について語ったときも、またそれ以後に監獄について語るときにも、それはまったく変化することはありません。
  わたくしは、そのとき、フーコーが「近代」moderneという言葉を使うときにみせる躊躇というか、逡巡ともいうべきものに注目せずにはいられません。もちろん、彼の主要な関心が18世紀から19世紀への移行期に起こった知の変容であるからには、その文中に「近代」という言葉が多く認められるのはいうまでもないことです。実際、『言葉と物』の最後の章には、「近代のエピステーメ」《episteme moderne》、「近代の思考」《pensée moderne》、「近代のコギト」《cogito moderne》といった言葉はいたるところにちりばめられています。だが、それ以前の章で、17世紀から18世紀にかけてのフランスにおける表象体系の成立を分析記述したときに彼の筆からもれた「古典」classiqueという言葉の自然な柔軟さは、そこには認められません。フーコーにおけるこの言葉の使用は、あたかも、方法論的な軽率さというか、より正確な定義をするためのごく暫定的な選択として、かりに「近代」という言葉を使っているにすぎないかのような印象を与えるのです。
  事実、「近代」という言葉を書きつけるや否や、彼は、『臨床医学の誕生』la Naissance de la Cliniqueの場合なら、「われわれがそこからいまだ遠ざかってはいない時代」 といい直すでしょうし、『知の考古学』Archéologie du Savoirでは、「なおわれわれのものである思考の規則」《des règles qui sont encore les n·tres》(p.231)といい直すことになるのです。修辞学的にいうなら「換言法」paraphraseと呼びうるこの言い直しこそ、その言葉を使うにあったてのフーコーの躊躇と逡巡とを告げているのです。

  実際、『言葉と物』は、「近代」という言葉をめぐる換言法的な修辞学にみちています。それは、あるときは「われわれの知にとっての実定的な土台として役立っているもの」《qui…sert encore de sol positif à notre savoir》(p.397)といい換えられ、あるときは「それにもとづいてわれわれが思考しているところの秩序」《I’order sur le fond dequel nous pensons》(p.13)ともいい換えれることになるのです。そして最終的には、「古典時代から近代への移行期に」《Le seuil du classcisme à la modernité》といったん書いてから、すぐさま「(語彙それ自体は重要ではない)、われわれの前史からいまなおわれわれにとって同時代であるものへの移行期に」《mais peu importent les mots eux-mêmes – disons de notre préhistoire à ce qui nous est encore contemporain》(p.315)と書かれることになるのです。ここで注目すべきは、「近代」という言葉そのものに深い意味はないとさえ断言されていることです。
  その理由はごく簡単なものです。「近代」という言葉は、そしてその概念は、まさに「われわれの知にとっての実定的な土台として役立っているもの」、あるいは「それにもとづいてわれわれが思考しているところの秩序」の中で生まれたものにほかならず、同時に、それは、「われわれの知にとっての実定的な土台として役立っているもの」、「それにもとづいてわれわれが思考しているところの秩序」そのでもあるからにほかなりません。つまり、「近代」とは、それ自体が「近代的」な言葉、「近代的」な概念なのであり、それが「いまなおわれわれにとって同時代であるところのもの」だという自覚を超えて、その言葉の意味なり概念なりを明らかにすることは不可能なものなのです。そうした文脈にあって、人は、「近代」とは「近代的」なものだという思考の循環的な回路からそとへ踏み出すことはできません。この不可能と無知こそ、われわれにとっての真の問題であるはずです。
フーコー的な「考古学」にとっては、「近代」がそうであるように、「ポストモダン」という問題体系も成立しません。だが、それは、ハバーマスのいうように、彼がマニ教徒的だからでも、降霊術師的だからではありません。それは、人々が気軽に「近代」という言葉で意味しようとしているものの拡がりと厚みに、彼がより誠実に対処しようとしているからにほかなりません。「近代」は「近代的」だという袋小路に閉じ込められていながら、そのことに無自覚なままでいるハバーマスとフーコーとの違いはそこにあります。実際、「いななおわれわれにとって同時代であるもの」について、それを自明の対象として語ることは、ほとんど不可能に近い。われわれは、時間をかけてその機能ぶりに同調し、それがどのような効果を波及させるかをじっくりとうけとめることしかできません。わたくしが、「複製技術時代の芸術」としての映画におけるモーパッサンの変容を跡付けたのも、そうした理由からにほかなりません。モーパッサンが「高級芸術」で、その映画的な翻案が「大衆文化」だと主張しないのも、そのためです。それらは、ともに、「いまなおわれわれにとって同時代である」文化がおさまる同じ一つの相貌なのです。それを「モダン」か「ポストモダン」かと問うことは、すでに意味を失っています。


Bibliography
(in the order of appearence in the text)
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Filmography
(Adaptations of Boule de Suif)

Mademoiselle Fifi(1994,U.S.A.),directed by Robert Wise.

Boule de Suif(1947,France),directed by Christan-Jaque.

Pyshka(1934,S.U.),directed by Mikhail Romm.

Stagecoach(1939,U.S.A.),directed by John Ford.

Oyuki,the Virgin(1935,Japan),directed by Kenji Mizoguchi.

Hua Guniang(1951,Hong Kong),directed by Zhu Shin-lin.
Onna no hada(Skin of a woman),directed by Kouji Shima..

(南京大学中日文化研究中心成立典礼专题报告·2001年12月7日)

  
 
 
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